<九州国立博物館>

この博物館は東京、京都に続く国立博物館です。
九州にも平成17年に国立博物館が出来る、と初めて耳にしたのは、大学の頃でした。
その頃は、大分未来の事やなぁ〜、と思っていたのですが。。。年月が過ぎるのは早いです。

九州とアジアの交流を意識した展示室は、他所には無いオリジナル要素が大きかった博物館でした。
流石、国立だけあって考古関係の展示内容は充実してました。ただ、金印が無かったのは残念。
あと、館内が広くて沢山の展示室に分かれているので、慣れてないと効率よく見れないかも。

左の写真 大宰府天満宮の参道にある梅ヶ枝餅。出来立て熱々を食べました。
中央写真 お昼に食べた「かさの家」さんの“とうりゃんせ”。ほんのり梅味のにゅうめん。お上品でした。
右の写真 九州国立博物館の入り口。

梅ヶ枝餅0とうりゃんせ0博物館に行くまで、長〜いエスカレーター。

<観世音寺・宝物館>

宝物館の正面玄関0 陵王面0国宝の梵鐘0 こちらのお寺の住職さんは、九州の大学の教授だと聞きました。
ネームバリューがある社寺の人って、高飛車な所が多いですが、
すごく落ち着いた感じで、気取った所がなく素敵なお寺でした
(褒めてんのか、わからん文章だな、オイ、、、)

舞楽面は陵王面・納曽利2面とともに、観世音寺に伝わっています。
<←大宰府展示館の写真パネル)
舞楽面があるって事は、昔このお寺で舞楽が奉納されてたんでしょうね。
大きなお寺だったらしいから、もしかして楽所も自前で揃えてたかも
しれませんね。左の写真は宝物館の入り口と、右端の写真は国宝の
梵鐘が入った半券。

国宝の梵鐘は奈良時代創建当初のもので、我が国の梵鐘の中で京都妙心寺の梵鐘と共に最古。梵鐘以外にも
国宝や、重要文化財の仏像や、遺品が陳列されていました。中には5メートルの巨像が三体もあり、圧巻です。
しかし、あれどうやってあの建物の中に運んだのか。白黒の人力で運んでる写真はあったから、多分人力で担いで
運んだんでしょうね。すげぇ!

しかも、この宝物館は、ガラスケースや柵とか無いに等しい展示環境なんです!だから、国宝や
重要文化財の仏像や遺品が本当に身近で見れます。これには、びっくりしました。貴重なものばかり
なのに案外、適当に陳列されているところが太っ腹?!多分、専門家が見たら卒倒すると思います。

左の写真は創建当時の、お寺の伽藍配置の絵。右の写真は、創建当時の模型(縮尺忘れた)。規模は南大門、
中門、五重塔、金堂、講堂、鐘楼、経蔵、僧房など七堂伽藍を完備した西日本随一の壮大さを誇っていました。
まさに、観世音寺の隆盛を物語ってます。今見ると、えっ、このお寺が?!そんな凄いお寺だったの?という感じ
ですが。。。いや、今は今で古刹でしびれますが。

伽藍配置の絵0宝物館にある宝蔵の一覧表0模型

<大宰府展示館>

大宰府展示館の正面玄関

今は何も無い公園には遥か昔、「遠の朝廷」と言われる重要な役所がありました。
文献から役所は十九もの「所」や「司」があったとされ、博多にある鴻臚館も組織の一部でした。

こちらの大宰府展示館では、大宰府跡の発掘調査で見つかった溝をそのまま保存・公開している他
出土品や模型を使って昔の「政庁」の様子を、わかりやすく紹介しています。

大宰府政庁周辺の国分寺跡や、筑前国分寺あと水城跡などの、史跡説明もしてもらえます。
が……説明してくれる、職員さんかボランティアさんかわかりませんが、この人の説明が長い。。。
おかげでよくわかりましたが、長すぎます。ずーとお話されるので長い間、展示館に拘束されてしまいました。
歴史や文化財が好きな私らでそう思ったので、普通の人はかなりしんどいと思います。

 左から1.大宰府政庁模型。2.当時、行われていた梅花の宴の様子。
3.発掘された玉石溝、緑っぽいのは苔。今でも下から水が上がってくるので、
湿って苔が生えるそうです。4.当時の美しい女性の姿。

1.大宰府政庁模型02.梅花の宴の様子03.玉石溝04.美しい女性の姿

金印スタンプ0半券0

大宰府展示館にあった金印スタンプと半券。

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